小学校で漢字を習ったときに思っていたことがあります。
「終わり」、「書く」、「聞く」、「過ぎる」を読むと、
「(お)わり」、「(か)く」、「(き)く」、「(す)ぎる」
と読むのですが、なぜ、ひらがなで1文字のところに難しい漢字を使うのだろうか?
字数的にも、ひらがなの方が早く書けて簡単でいいではないか。
というのがいつも不思議でした。
私なりの解答ですが、例えば「聞く」をとってみよう。
同じ「きく」にも「聞く」があり、「効く」があり、「利く」もある。
「効く」は、効き目があるという意味
「利く」は、役に立つという意味
など、ひらがなで書いては意味の違いが分からないことを「漢字」で分かりやすくして、使う側の意思を正確に伝える役目があるんだ、と自分で納得しています。
こんなことを聞いたことがあります。
日本語の場合、「ひらがなは左脳で、漢字は右脳で」ということを聞いたことがあります。
確かに漢字は、イメージで捉えるような場合もあります。
例えば、日本映画の終わりに「終」の一文字が現れることがあります。
いちいち文字を読まなくても、イメージ的に「映画は終わりだ!」と解釈をしてしまいます。
漢字は読まなくても(読んでいるんだろうが)画像的というかイメージで捉えて理解するために非常に便利であるように思います。
ひらがなだけの文章では、相手が誤解しそうな場合でも、漢字は非常に便利なものだと思います。